多文化に触れるという考え
子どもが受験をするようになると 親も その価値観の中に
どっぷりハマってしまいます。
反対かな?
親が 子供を その価値観の中に はめこみ
その価値観の中の順番の少しでもいい番号に 子どもがつくことを望むように
なってしまいます。
そして それが 全てだと思ってしまう独特の期間が 受験期間ではないでしょうか?
人間に順番をつけるというのが そもそもの間違えで
順番をつける側の価値観での番号でしかない。
日本語が 話せない人は みんな馬鹿なのか?
英語を 少し わかれば 偉いのか?
そういう基準で 考えること自体おかしいことです。
すご〜く狭いところで 話をしているのです。
では 私は 子どものどう 育って欲しいのか?
将来 誰かのためになる仕事について欲しい。
これは 変わらぬ願いです。
これから ますます 世界は 近くなり 身近になる。
その時の言葉を 取得して欲しい。英語だけでなく
できれば 他に 興味がある言語も 取得して欲しいくらいです。
多文化を子どもの頃に 感じるというのは この日本では難しい。
どうして こだわるのか?
他者との違いが 明らかで それでいて 一緒に過ごすということだからです。
例えば ご両親が 東欧の方から来た方の子ども、もともと地元に住んでいるアメリカ人の子ども、
アジア圏だけれど 赤ちゃんからアメリカに住んでいる子、中東から来ている子、
そこに住んでいるけれど 公立には入らないアメリカ人の子、、、などなど
全く属しているコミュニティーが違うので 日本のように 習い事が重なるとか
同じテレビを見ることがないのです。でも、一緒に映画館に行って楽しむ。
初めから 外見も考えも「違う」と思って 生活を送っているのです。
もちろん、同じような環境の人は 大まかには 同じような行動をします。
でも バックグランドが あまりに違い過ぎ 比べることができないと
わかっているので 楽です。
でも 同じ学校で 同じ授業をうけ 仲良くなる、言葉では表せない
この感覚。
違うけど 仲良くなる、違いを 受け入れる、そんな大袈裟なことじゃないけれど
子どもたちには この感覚を味わって その上で 自分の考えを言える人間に
なって欲しいです。