子どもに 自分が英語を 教えられたら どんなにいいかって
思ったことありませんか?
親である私が 流暢な英語を話せれば どんなに 楽か?
いや 話せないから 熱心に 教育しているのではないか?
など 最近では 思います。
パパが 外国人であっても 日本語が流暢であったり(つまり すごい)
ママが 話せても 子どもがママが英語を話すことを嫌ったり
加えて 親が 先生になる大変さ(親子関係の悪化)
必ずしも うまく行くわけではないと 子育て14年目にして思います。
勿論 それを ストレスなく 行っている家庭は素晴らしいと思います。
でも 一握り。
だからこそ 話せるママも 熱心に英語教育を考える時代に
なっているのではないかと感じています。
私のように 話せないと 子どもが ちょっと 話せると「すご〜い!」と
とっても 褒め上手。でも そこで終わってしまってはいけないんですよ。
褒め上手な自分を そのままにし 話せない自分も受け入れつつ
英語教育の情報を精査していく。
インターのママと 以前話していて 同感したこと。
チューターを通年つけているママ 夏休みだけつけるママが
どちらも 先生を選ぶ時に いい大学 学歴 、人柄
(分からないから 紹介や 学校の先輩が 人気だそう)
こういうことは 勿論 重要なポイントだけれど
それ以上に 大事なのは どれだけ苦労して その学歴を築いたのか?
例えば アメリカ イギリスの大学に 外国人として入学したとか
(その大学の国籍を持っていない 母国語でない)
初めは 成績が良くなかった でも 何とか合格した など
成績が良くなかったとか 初めから偉かったわけではない先生を選ぶことが重要だと。
いろんな裏技 やるべきこと それはそれは熱心に教えてくれると話していました。
そんな先生を どうやって 見つけるの?と 質問したら
そこは 親の頑張りどころ 知り合いの知り合いの知り合いの知り合い・・・
すでに 知り合いでないスケール感!
そう 親は 英語を話せなくても そういうところで力を 発揮すればいいんです。
見つからなかったら?
彼女たちは いつか 見つけるよ、見つかっても もっといい先生を探し続けるよ、と。
頭が下がります。