英語と国語と小学生
昨日 小3次女に国語の読解の問題の丸付けをし、
一緒に やり直したのですが、思わず きつく言ってしましまた。
次女は 小3なので 問題集を行う、テストを受けることがまだ少ないので 仕方がないのですが
「要約」と「感想」が ごっちゃになっている。
選択問題の中に 自分の感想があると 選んでしまう。
感想と 言わないまでも 「〇〇だから ▲▲である」
〇〇は 書いてある、▲▲は 書いてない。けれど
自分だったら、〇〇なら ▲▲に思うだろうと それを選んでしまう。
それなら 100人いたら100通りの考えになってしまうよと
伝えました。
家庭で 本を読んだ時「どんなお話だったかな?」⇨要約
「どう思った?」⇨感想
これを やっていくことが 全てかもしれません。
英語と国語と小学生
英語と 国語の違いは 自分の考えを書く
自分で調べたことを 発表することの機会の違いです。
日本の国語は あくまでも 筆者の気持ちや 伝えたいことを読み取る。
最近では 小学校でも 「調べ学習」と称して 社会科 総合。
こちらでは 調べ学習を行なっています。
中学などで 英語を習い始めると エッセイとまでといかなくても
自分のこと 自分の考え 自分で調べたことを 書き また
発表する機会が多いことに 気づくと思います。
英語と国語と小学生
英語を学ぶ上で 要となる 「自分」と「他者」を理解する。
これは 自分の考えを 普段 発しない限り 出てこない。
アメリカで 感じたことは 日本で気にする「完成度」とは
全くの別物。
アメリカ滞在時に タレントショー(自分の特技を披露する)発表会で
ほとんどの子は 日本だったら 絶対でないレベルで でます!
何を言いたいかというと 「自分が」見てほしいと 判断したらOK!
日本で 同じように小3の次女で 行われたそうです。
そこには オーデションと称し 出れる人を まず 振り分ける。
ダンスなんて言ったら 今流行りの MIZIUは レベルが高く
ダンスに通っている子達のみ通過だそうです。父兄は 見れません。
アメリカでは みなさん 夕方から 父兄が集まり ピザやドリンク片手に
(学校で 分けられる)ものを 長テーブルに座って 鑑賞。
ノックノック・・・〇〇 3回繰り返す アレも ショーになり 大きな拍手をもらう。
子どもの出来?その時点の才能??練習した成果???
それよりも タレントショーに出て みんなを楽しませる、自分も主体的に楽しむ
そんなふうに 感じました。
英語と国語と小学生
アメリカにいて 感じたこと。
子どもに 甘いな〜 笑
本を学校の教室で販売する催しの時は
いくらでも 欲しくなる子どもに
困り果てた親が (数冊買っているんですよ)怒りもしないで
泣いている子どもの話を聞いていたこと。
日本では スキーに行くと
「早くして」「もう!知らないよ」「なんで そんなことしているの!」
飛び交うお母さんの怒る声。。。
横に行って 「わかります〜!!」と同意したいくらいですが
アメリカは いちいち 子どもの意見を聞く(この表現・笑)
そうなんです!
子どもでも 大人でも エアコンの温度でも 「自分」が どう思うかを
聞かれる。自分の意見を 常に持っていかなければならない。
どうでもいい、「合わせるよ」とさえ 思う。
感想とは 自分だけに 込み上げた感情、それを 理論的に構築し 他者に
伝える。
読解問題とは 他者と同じになるよう 答えを 文中から探し当てる。
両方大事。
でも、英語を 話せるだけでは いわゆる「英語力」は 伸びない。
英語と国語と小学生
「英語力」というならば 同世代の単語は知り得ないと
楽しくない。
同世代が 理解する英単語を理解しない限り 園児が見るTVを
楽しむことになり 全く楽しさを味わえない。
また 大人が使う単語 敬語(丁寧語でなく)理解できない年に
その単語を 学ばせるのもどうかと思う。
日本語でも 一番手を焼くのは 語彙。
この語彙を どう生活に落とし込めるか?読書 日々の会話しかないと思います。
英語も 同じなのでは?と。